アフィリエイトドリームの光と影【前編】

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こんばんは、深夜に失礼します。
北村リュウです。
土曜の夜ですね。
いかがお過ごしでしょうか?
以前、インタビュー動画をお送りした
ガチンコサイトクラブの生徒の
「ゆうひ」さん。
5月の実績の最終報告を受けたのですが
3万円の成果とのことでした。
惜しいな。
もうあと2件で5万オーバーだった。
ただし、ゆうひさんは
1000円を30件とかじゃなくて
15000円を2件だから
この成果はそこがすごい。
1件成約させる労力は
単価によって変わるものではない。
だから1000円を30件売るのと
15000円を30件売るのが
むしろ同等の旨みになるのです。
もちろん、金額の総額だけで見れば
3万円ってのはありきたりかもしれない。
当然うちの生徒さんには
ずっと100万円を超え続けてる
寺島くんや山田さんみたいな
とんでもなく派手な実績者もいます。
でも大きな実績が
当たり前になってる人たちって
別に100万稼いでても
本人はワクワクはしてないのが現実。
その「すごいのが当たり前な感じ」に触れて
基準値が爆上がりする人もいるけどね。。。
体感のワクワクさでいえば
いまのゆうひさんがダントツですよ。
なんと言ってもこの稼ぎ始めの
月収5万〜10万に届くかという瞬間が
一番「人生が好転してる感覚」がある。
だから寺島くんや山田さんみたいな実績者よりも
ゆうひさんに話を聞いた方が
新鮮味があって面白かったりすることがある。
そんな想いでインタビュー動画を
お送りしたのです。
・・・・・
さてさて、そんな感じで
先月から今月にかけては
ガチンコサイトクラブメンバーの
実績者の話を中心にしてきました。
今日から3話に渡って
私の話をさせてください。
自分語りってやつですね。
今でこそアフィリの先生をしている私。
しかし私自身のアフィリエイトドリームは
決して平坦な道ではなかった。
というのも
私がアフィリを始めたのは
2014年の冬。
当時26歳だった私は
札幌のコールセンターの
しがない中間管理職でした。
就活もせずにバイトから上がった
万年契約社員。
時給は1080円。
正規雇用になったことが一度もなく
ボーナスももらったことがない身分です。
ギリギリ交通費が支給されるレベル。
ビジネスマンとしてのマインドも
非常に低かった。
仕事中の居眠りにかけては
もう常習犯でしたよ。
「次に居眠りしたらお前を左遷する」
って堂々と宣言されてましたからね。
そこまで言われるのすごくないですか?
もう限界でした。
自分にはサラリーマンは向いていない。
この世界で出世して給料の金額を上げていける
そういう自信が1ミリもなかったんです。
正直逃げ出したくてしょうがなかったですよ。
中間管理職ですからね。
仕事がまともにできないやつは
時間と共に首が締まっていく。
上からも下からも
信頼されなくなっていくのです。
しかも当時の私は
ミュージシャンの夢を追って
音楽活動をしていたわけですが
そちらでも生計を立てることはできなかった。
残ったのはプロユースの機材購入で
二重にも三重にもかけたローン。
このままだとショートする。
実家暮らしのはずなのに
残業手当をもらわないと
支払いができないレベルです。
そのくらい首が回らなかった。
サラリーマンでは難しい。
そんな中で視界に飛び込んできたのが
サイトアフィリという副業でした。
大きな資金も必要なく
地道にコツコツやれば
誰でも稼ぐことができる夢の副業。
でも特別なスキルがあったわけではないのです。
PCなんて
ネットなんて
サイト制作なんて
まるで経験も何もない!
今となっては誰も信じてくれないんですが
私は超アナログ人間だったので
マイナスからのスタートです。
運よくいい教材といい先生に出会えて
引っ張り上げてもらえたことで
1年で独立起業、2年目で月収100万円を突破。。。
とまぁ、通り過ぎてしまえば
スムーズに進んだように見えてしまいますが、
実はその間にも失敗ばかりしてました。
アフィリはじめたての私は
マインドセットがふにゃふにゃでした。
「先生、ライバルが強そうで怖いです
 このジャンルで本当にいいんでしょうか?」
「先生もこのジャンルやってるんじゃないですか?
 だとしたら勝てる気がしません」
「もっと楽して稼げるジャンルは
 ありませんか?」
みたいな質問を真顔でしてましたから。
今思い返しても恥ずかしくなる。
とんでもないふにゃふにゃ野郎ですよ!
いや、当時の自分の気持ちは
わからなくもないんですが
普通に恥ずかしくないですか?
だって他ならぬ自分のビジネスですよ。
ブログの責任者は自分自身です。
そして画面の向こうには
私がサイトで発信する情報を
頼りにしてくれるお客さんがいるのです。
なのに「これで本当に稼げるんですか?」ですよ。
お客さんに何をしてあげられるかを
第一に考えないといけないのに!
ズレまくってるでしょ?
先生も
「そんなんじゃ稼げるようになりませんよ!」
と叱るより他ないわけです。
一体何回叱られたことか。
「私の生徒の中で北村さんが
 一番手がかかった生徒でした」
っていまだに飲みの席でネタにされるからな。
そんな私が独立起業できるくらいまで稼げたのは
結果として「諦めなかったから」というだけのこと。
同門の生徒たちの中でも
飲み込みが早い人遅い人
色々な人がいました。
そんな中で稼げずに終わってしまう人って
一体どんな人だと思いますか?
総じて
「すぐ諦めてフェードアウトする人」
です。
そんな人が数え切れないくらいいました。
別に他の人のスキルが
私よりも著しく低いとか
そういうことでもないんですよ。
テクニック面ではみんな横並びだった。
でも最後まで生き残って
成果を手にした人は私を含めて一握り。
脱落した人と私の差は
テクニック面ではなく
「諦めない心」です。
それしか説明がつかない。
だから声を大にして言える。
サラリーマン時代の手取りの
20万くらいは「諦めない」だけで
到達できますよ。
ただし、そこから100万円まで到達するには
ちょっとした工夫が必要でした。
私の場合は「外注化」ですよ。
なぜなら私は集中力が持たない。
すぐにYouTubeで
カズさんのマイクラ実況とか見ちゃう。
1日に何時間もゴリゴリとデスクに向かって
10記事以上もの作業をこなす人もいる世界。
私は3記事書ければいい方だったんです。
だからアフィリエイトを
大きくスケールさせるには
外注化という工夫が必要だったのです。
とはいえ外注化っていうのは
昔は本当にハードルが高くて
クラウドソーシング系のサイトで
マッチしたワーカーさんも
資料渡してすぐ音信不通。。。。
そんなことが何度も何度もあった。
こんな話は業界どこでも聞ける
あるあるなエピソードですが。
うちもクラウドソーシングの報酬で
一体どれだけのお金を溶かしたことか。
そんな中で私が手を出したのは
自分の彼女、友達、会社員時代の仲間を
外注化すること。
身近な範囲の顔見知りで
そう簡単に音信不通にならない人を
全力で巻き込んだ。
そうして「ほぼ身内」で構成された
外注チームを作るという方法でした。
これがそれなりにヒットしたんですよね。
報酬も結構太っ腹な金額を渡してました。
特に当時付き合ってた彼女なんかは
サイト一つ任せて記事を共同で書き、
そこから上がる報酬は
完全に折半という感じ。
月に20万とか払うこともありました。
外注費用としてはコスパ悪いけど
熱量が違うので伸びるには伸びるんですよね。
やればやるほど自分の貰える金額も増えるから
本人がすごくやる気になってくれるわけ。
しかし風向きはそこから1年で
変わってしまいました。
Googleのアップデートで
売り上げが下がったんです。
アフィリエイターにとっては
アップデートで変動が来るとか
割と普通のことなんですよね。
下がったらまた上げればいいだけ。
しかしそう思えるのは
諦めない心を持った
自分で旗振りをしてる人間だからです。
彼女はアップデートを機に
ガクンとモチベが下がってしまい
サイトの更新をしなくなってしまいました。
他の外注さんたちも
似たような報酬形態でお願いしてる人は
みんなモチベダダ下がり。
そんなわけで売り上げは低迷。
売り上げを戻す最後の手段は
自分が稼動することです。
会社辞めちゃってるもんだから
いざとなったら自分が命をかけて
記事を書くしかない。。。
そして!
かなり火がついたことで晴れて
自分の力だけで売り上げを元に戻せました。
しかし、ほっと安心したのも束の間。
やっと暗闇の中から
光が見え始めた時に
またもや打ち砕かれてしまったのです。
おっと、
長くなってしまったので
この続きはまた明日
6月9日のメールにて。。。
今回はここまで!
リュウでした!
P.S.
=====
「シン・サイトアフィリセミナー」
開催します!
日程はまた後日
お知らせします!
=====
北村リュウ

北村リュウ

詳細なプロフィールはこちら https://ryu3web.com/profile

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